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2024.9.14

オアシス初来日公演から30周年~1994.9.14@Shibuya Club Quattro

オアシスの再結成ライヴ。ウェンブリー・スタジアム公演は追加・追加で、現時点(9/10段階)では遂に7回目まで発表になっています。このあと更に追加されるかどうかは分かりませんが、これまでのウェンブリー連続公演の最高記録がテイク・ザットとテイラー・スウィフトの8回ですから、記録更新なるか?注目ですね。

更に凄いのが全英チャート。9月6日付のアルバム・チャートは8月29日に発売となった『Definitely Maybe』の30周年記念盤が1位(当然30年ぶりの1位)、そしてベスト盤の『Time Flies』が3位。『What’s The Story (Morning Glory)?』 が4位。
https://www.officialcharts.com/charts/albums-chart/20240906/7502

シングル・チャートは 「Live Forever」8位、「Don’t Look Back In Anger」9位、「Wonderwall」が11位と・・・。まあ、物凄いことになっています。
https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/20240906/7501

さて、本日2024年9月14日はオアシス初来日公演から30周年ということで、今回はあの1994年9月14日、伝説の渋谷クラブ・クアトロ公演を振り返ってみたいと思います。

*渋谷クラブクアトロの楽屋での写真

オアシスは1994年4月11日にシングル「Supersonic」を英国発売。デビューアルバム『Definitely Maybe』の英国発売は8月29日。
ここ日本ではどうだったかというと、「スーパーソニック」のマキシ・シングル(ESCA-6025日本独自5曲入り)が7月14日発売。『オアシス』という邦題を付けたデビューアルバム(ESCA-6045)は日本盤ボーナストラック2曲付で英国からちょっと遅れて9月8日発売となっています。

*1994.9.8発売『オアシス』(Definitely Maybe)初版CDジャケット写真


オアシスの初来日公演のスケジュールは、9月14日、15日、16日が渋谷クアトロ。9月18日が心斎橋クラブクアトロ。9月19日が名古屋クラブクアトロと東名阪5公演でした。

驚きなのが、デビューアルバムの日本発売から1週間たたないうちにもう日本の地に立っているわけです。関係者の皆さんの努力もあったでしょうが、これって信じられないくらいのスピードです。
初来日公演のチケット発売日は7月9日。公演の約2か月前、いかに急遽決まったのかがわかります。
日本での初のシングル「スーパーソニック」の発売前にもかかわらず、チケットは全て即Sold Out。その時点で確固たるファンが日本に存在していたということですね。日本で約3500人がこの初来日公演を目撃することになります。

*実際のツアー・アイテナリー

オアシス御一行が日本に到着したのは1994年9月12日。空港到着時からもの凄いことになっていたそうです。

*映画「スーパーソニック」より。1994年9月 初来日時映像


「初めて日本にきて、初めてジャンボに乗ったよ」(リアム)

「空港には1000人もの女の子が集まっていた。俺の人生の中でもあんなに驚いたのは初めてだった。英語も話せない人々がライヴの前から俺達に夢中になってるなんて、どうなってんだ?」(ノエル)

そりゃそうですよね。英国のマンチェスターの悪ガキたちが、遠い遠いファーイースト、それも初の非英語圏の全く見知らぬ国に、初めてジャンボジェットに乗ってやって来て、いきなりの大歓迎。びっくりもしますよね。

9月13日のオフを挟んで、いよいよ日本ライヴ・デビュー。
1994年9月14日、渋谷クラブクアトロ、伝説の一夜の始まりです。

*1994,9.14渋谷クラブクアトロのチケット

18時開場、19時開演。超満員の場内は日本で初めて目撃するライヴへの期待感とともに、どこかざわざわとして落ち着かない感じも。とにかく印象的だったのが黄色い歓声。「リアム〜」「ノエル〜」「アニキ~!」って会場のあちこちから聴こえてくる。

いよいよ5人のメンバーがステージに登場すると、怒号と歓声とが入り交じったもはや興奮の坩堝。そんな中リアムが第一声を発します。

「コンバンワ、ニホン!」

“トーキョー”じゃなくて、“ニホン”って言うとこがいいですよね。
ステージのど真ん中でストライプのシャツに身を包んだリアム。観客を煽りながら、ほどなくして、1曲目の「Columbia」でショーがスタート。両手を後ろで組み歌い上げる、“あの姿”、初お目見えです。

リアムのすぐ右にはノエル。ギターはレスポールでしたね。ほぼ微動だにせず一心不乱にノイジーなギターを掻き鳴らす。
リアムの左にはサイド・ギターのポール・”ボーンヘッド”・アーサーズ、その奥にベースのポール・”ギグジー”・マッギーガン、後ろにドラムのトニー・マッキャロル。

5人のメンバーがちょっと動けばお互いぶつかってしまうくらいの、クアトロの狭いステージ。
そこでオアシスのライヴを観られたなんて、今となってはちょっと信じがたいし、奇跡的ですよね。

ノエル27歳、リアム21歳。まだ全世界的な大成功を収める直前の原石の輝き、粗削りながらも圧倒的な存在感を示すライヴ。
初めてオアシスのライヴを体験する日本のファンの異常なほどの盛り上がりが、バンドへも伝わったのではないでしょうか。ステージと観客の一体感が更にこの夜のライヴが特別なものになっていった気がします。
デビューアルバムをリリースしたばかりのバンドの曲を、もう非英語圏の人々が一緒に歌ってくれているなんて、バンドも嬉しかったのではないですかね。
オアシス日本初ライヴ、目撃出来た方は本当にラッキーでしたね。

初日のセットリストではデビュー盤『Definitely Maybe』の英国盤収録曲11曲中10曲演奏。
日本盤のボーナストラックとして収録していた「Sad Song」と、シングルのBサイドだった「Fade Away」「D’Yer Wanna Be A Spaceman?」を加えた全14曲、約70分のショーでした。

当日のセットリストはこちら

<OASIS 1994年9月14日渋谷クラブクアトロ・セットリスト>
1. Columbia *
2. Fade Away ***
3. Digsy’s Dinner *
4. Shakermaker *
5. Live Forever *
6. Bring It On Down *
7. Up In The Sky *
8. Slide Away *
9. Cigarettes & Alcohol *
10. Married With Children *
11. Sad Song ** (Noel: Solo Acoustic)
12. D’Yer Wanna Be A Spaceman? *** (Noel: Solo Acoustic)
13. Supersonic *
14. I’m The Walrus ****

* 『Definitely Maybe』収録
**『Definitely Maybe』日本盤ボーナストラック
***シングルBサイド
****ビートルズのカバー

初日は日本に来る直前のセットリストに近いものでしたが、注目すべきなのは10、11、12の3曲。
日本ツアーの前の英国、ヨーロッパを回るツアーの基本セットリストはこの10、12、13を除いた11曲というパターンが多かったのですが、日本のためにこの3曲が追加されたんですね。

10曲目の「Married With Children」で一度バンドは引っ込み、ステージにはノエルだけに。
これまでにやっていなかった、ノエルのソロ・アコースティック・セットが日本で初披露されます。
「Sad Song」と「D’yer Wanna Be A Spaceman?」と2曲演奏したのですが、「Sad Song」はデビュー盤のボーナストラックとして日本盤に入っていた曲ですから、日本のファンへのプレゼント的なものだったのかもしれません。

再びメンバーが登場し、「Supersonic」のイントロで大歓声、リアムのヴォーカルが入って大爆発です。
締めは当時ほぼ全てのライヴのラストナンバーだったビートルズの「I’m The Walrus」のサイケデリックでヘヴィーなカバー。ギターのフィードバック音を残して終了します。これまでのセオリー同様アンコールはなし。

*日本公演の少し前のライヴ音源(I Am The Walrus (Live Glasgow Cathouse June ’94))

デビュー盤の中で最もライヴ向きではないかと思える「Rock ‘n’ Roll Star」をなぜやらなかったのか?今となってはちょっと不思議な気がしますが(日本以前のセットリストにもあまり入ってなかった)、9月16日の東京最終公演で遂にオープニングナンバーとして登場。
以降大阪、名古屋ではこの曲がオープニングナンバーとなります。オープニングがこの曲ってのは、まあこりゃ当然爆発的に盛り上がりますよね。

あと興味深いのは、この初日のショー前のサウンド・チェック。その後のアルバムに収録されることになる名曲を演奏していたのです。

翌年発売されるセカンド・アルバム『モーニング・グローリー』の「Some Might Say」「Bonehead’s Bank Holiday」「Hey Now!」、1997年のサード・アルバム『ビー・ヒア・ナウ』の「Stand By Me」「Don’t Go Away」やシングル「Stand By Me」のBサイドで収録された「Going Nowhere」。

これらの曲をノエルがアコースティックギター1本で演奏。サウンド・チェックというよりも、デモ録音みたいな位置づけだったのかもしれません。
リハーサルで新曲をやってみるというのは恒例だったようで、日本ツアー中どの会場だったのかは分からないのですが、リハで「Whatever」もやっていたそうです。

のちに2014年に発売された『モーニング・グローリー』デラックスエディションに日本公演のサウンド・チェック音源の一部が収録されることになります。
こちらの「Some Might Say」が初日サウンド・チェック時の音源です。

1994 Japan Tourのハイライトは、最終日の9月19日名古屋クラブクアトロ公演でした。
この日は「オアシス史上初のアンコール」が披露されます。
メンバーからの日本のファンへの感謝の気持ちを込めたプレゼント的な意味合いもあったと思いますが、当時のクルーの方から最近ちょっとしたエピソードを聴きました。

とにかく名古屋のライヴが抜群に良くて、オープニングにもやった「Rock ‘n’ Roll Star」を再びアンコールで演ろうということになった。でも、問題が一つあってね。
その直前にトニー・マッキャロルがドラムスティックを投げてしまったから、予備のスティックが残っておらず、最悪演奏できないかもしれなかった。
ノエルだったかリアムだったか思い出せないけど、“ドラムスティックを取り戻さないといけないんだ”って言ったら、ドラムスティックが(観客から、バケツリレーのような感じで)戻ってきたんだよ。
日本のファンはなんて素晴らしいんだって思ったね」

*名古屋での日本のファンとノエル

ノエルは昨年のインタビューで初来日公演のことを覚えていますか?という質問に対し、こう答えています。

「ああ。つい一昨日も東京をぶらぶらしていた時に、たまたまClub Quatroの前を通りがかったんだ。当時ライヴをやった時以来だ。歩いていてたまたま見上げたら、そこにClub Quatroって書いてあったんだ。初めてのツアーの時のことはよく覚えているよ。最高の思い出だ」

「初めて自分達がロックスターになったと思ったのが、初めて日本に来た時だった。
イギリスでは自分たちはインディ・バンドだった。それが日本に来るなり、ファンの熱狂ぶりが凄くて、まるでビートルマニアだった。なんだこれ?って面食らったけど、最高じゃんって思ったよ。ホテルから出られなくて、街ではファンに追いかけられたけど、いい時代だったね」

初日公演の終演後ノエルはアラン・マッギーに電話してこう語ったそうです。

「俺たちは日本で滅茶苦茶温かく迎えられた。みんないいファンで本当に嬉しい。」

お酒もたんまり入っていたせいか、ちょっと涙ぐんで電話していたとか。
リアムも日本のファンについてこう語っています。

「みんな狂ってて、イカれてて最高だ!大好きだよ。日本は大騒ぎで最高だった。」

初めての来日で、日本のファンの皆さんが好意的に温かく受け入れてくれたことを彼らは今でも忘れていないんでしょうね。その後もアルバムを発売するごとに何度も来日してくれました。
オアシスと日本のファンとの絆の原点は今から30年前の初来日公演。すべてはここから始まったわけです。

最後にちょっとしたエピソードを。
当時のスタッフの方に聞いたのですが、日本のあとのUSツアーで大もめにもめていたとき、ノエルから日本のEPIC SONYになんと直電がかかって来たんだそう。USツアーで起こったすったもんだ、いろんな愚痴とともに、最後にはこんなことを。

「日本は良かった。ファンも素晴らしかったし、日本が恋しいよ・・・」

1994年の初来日公演関連では下記などが今回のオアシス展で展示されます。

●ツアー・アイテナリー(日本側で作成したメンバーやツアースタッフに配布されるスケジュール)。
●スタッフがジャンボ機内で撮影したリアムの写真
●ノエルが初来日中に書いた歌詞の走り書き